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人生暇化を目指す人が書くブログ

メンタリストDaiGoという存在は弟子にとって神として扱われていないか

どうもこんにちわ。メンタリストDaiGo(以下、DaiGo)さんの弟子です☆

今回の記事では、DaiGoさんはほとんどの弟子たちにとって、神のように扱われているのではないかということについて、そしてそれに気づいた後の私の行動について話したいと思います。

 

私たち人間は他の動物と違って将来のことについて考えます。ですが、そこには不安な要素しか見当たりません。そこで人類は不安を消し去ってくれる存在。つまり神(仏教の場合は仏)を作り出しました。

神というのは、私たちに試練を与えてくれるものだったり、教えを下さったりする私たち人間以上の存在です。

人類は神の教えに従い生きることで、現世や死後の幸福を手にしようとしてきました。ですが、科学の発展により今まで神の怒り、涙、祟り、といったものは存在しないことがわかってきました。

そのせいなのか現在の日本では、若者は無宗教でいることが多くなったと思います。

('ω')<オレハカミヲシンジネェ!

筆者もあまり神という存在を信用していません。

ですが、最近気づいてしまったのです。私はDaiGoさんを科学で裏付けされた論文という教本を、教えをくれる神のように感じていたことに。そして何も考えずにその教えを受け取っていたことに!

教え(論文)に沿って行けば、幸せに生きていける...と。

同じ考えを持っていた人はいますか?もしいたとしても当たり前だと思います。

私たちは本能的に難しいことを考えることを嫌います。なぜなら、頭で無駄なエネルギーを消費しないようにするためです。

 

DaiGoさんが神格化していることに気づいたのちに私は、今まで習ってきたことから選ぶことを始めました。Dラボでは一か月に13個(2021年9月)の動画が出ています。さらに、一個の動画の中に10個以上の情報が入っており、正直全部を見ていると試さないまま過ごすことがよくありました。そこで、自分に「一週間に一つのチャプターのみを実践していい」というルールを課すことで、神に従うというよりは、神の教えの中で有益なものを選ぶという自発的な行動をとれるようになりました。

皆さんも、ただ聞くだけの状況が出来上がらないように上に書いたようなルールをつくってはいかがでしょうか。